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硫黄島からの手紙
 日本の連合艦隊がほぼ壊滅し、戦況が悪化の一途をたどる1944年6月硫黄島の飛行場に栗林中将が到着した。彼は、小笠原兵団長兼第109師団長として本土防衛のかなめとしてこの硫黄島にやってきたのだった。アメリカに留学の経験もある栗林はアメリカの力を充分に知っており、合理的な思考をもっていた。さっそく、来るべき米軍上陸を迎え撃つ戦術で、従来の思考にとらわれている旧型の指導部の単純な玉砕戦法を退け、島中に地下壕を掘り巡らして徹底抗戦をおこなうことにする。居丈高に兵への体罰を制止する栗林の態度に感謝する西郷一等兵。さらに、きたるべき戦闘に備え、わずかに住んでいた島民を本土に避難させ、乏しい食料を倹約しながら、ひたすら準備をしていった。栗林の理解者の一人西中佐は、1932年ロサンゼルスオリンピックで馬術競技で金メダルをとっており、バロン西として世界的知られた人物であった。彼は、戦車隊長として赴任していたが使える戦車はほとんどなく、砲台代わりに使える戦車を配備するのだった。そして、島を揺るがす爆撃が続き、艦隊からの艦砲射撃が耳をつんざく日々の後いよいよ米軍が上陸してきた。栗田司令官は米軍が海岸に上陸し浜を覆った頃、攻撃命令を出した。この初戦で、日本軍は奮闘はしたものの海岸線のトーチカは火炎放射器で焼かれるなど大打撃を受けた。そして、米軍は上からの攻撃を阻止するため、摺鉢山攻略に部隊を投入した。武器弾薬、兵力等圧倒的優位の米軍が摺鉢山を奪い、あの有名な星条旗を掲げるのだった。摺鉢山の日本軍で生き残った兵士たちは、自決するのだが、西郷は栗林からの生きて他の部隊に合流せよという交信を聞き、自決をせず、元憲兵の清水と撤退するのだった。その後、海軍の伊藤中尉に摺鉢山を死守する任務なのに生きておめおめ逃げてきたと危うく殺されそうになる西郷を栗林が助ける。しかし、伊藤たちは、栗林の命令を無視して、玉砕戦を敢行しようとする。しかし、米軍の圧倒的な火力に撤退を余儀なくされる。一人爆雷を身にまとい戦車に体当たりをすると、出て行く伊藤。だが、そこには戦車はいなかった。やがて、弾薬も底をつき飲まず食わずでがんばってきた日本軍もとうとう、栗林を戦闘に米軍に突撃していった。
 シナリオは米側のもので、主演の渡辺謙が撮影中細かくチェックしたという。そういう意味で、けっこうよくできているといえる。しかし、あえて細かいことを言わせてもらえば、目を負傷した西中佐が自決する際、部下に武器を手渡してもらう際、「ライフル」と言っていたが、日本軍の装備は38式歩兵銃のはずで、よもや「ライフル」とは言うまい。それでも、元憲兵の伊藤の口から「鬼畜米英」「米兵は腰抜け」と当時の平均的な日本兵が思いこんでいて、現実には自分たちと同じような境遇で、戦地に駆り立てられたあたりを米軍の負傷兵のもっていた母からの手紙を西が読む辺りにうまく表現されていた。それと、西郷が届くあてもなく、ただ妻あてに書き続ける手紙と、ごりごりの帝国陸軍兵士ではなく、実はこうした兵隊こそが平均的な兵士だったのではと思わせるあたりも実によかった。
 ただ、実際にあの戦争を体験した人からみれば現実はあんなものではないといった感想も散見するが、この映画を改めて戦争は二度とやってはいけないという思いを共有化するということで良い契機になればと思った。前作の「父親たちの星条旗」ともシンクロする場面もあり、両作品をともども、戦後61年というこの時期にあって意義のあるものといえよう。

監督 クリント・イーストウッド
出演 渡辺謙 、二宮和也 、伊原剛志
2006年米映画 上映時間141分

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