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チェ28歳の革命
 1955年、27歳のアルゼンチン人のエルネスト・ラファエル・ゲバラ・デ・ラ・セルナは医者となっていたが、青年期に南米の多くの国をバイクで回って民衆が大変な苦痛を強いられている現状をみてきた。そうした中で知り合った、キューバ人の革命家フィデル・カストロとメキシコで意気投合する。そして、翌年12月、8人乗りのレジャーボート・グランマ号にカストロ、ゲバラら総勢82人の同志たちはキューバに乗り込んだ。しかし、バティスタ政権との戦闘で最終的にはこの82人の内12人しか生き残れなかったという。当初、ゲバラは医者として軍医的な役割りを担っていた。しかし、彼は負傷した味方の兵士たちをしっかり守り回復して戦線に復帰できるよう献身的に擁護した。さらに、部隊に新たに加わった兵士たちに読み書きの重要性を説き、戦闘の傍ら勉強をするように呼びかけた。彼らは山岳地帯に根拠地を作り次第にキューバ民衆にも支持されるようになった。そして、都市部での反バティスタ勢力とも手を組んだカストロ軍は2年間の戦いのなか、ゲバラは第2軍の司令官となり、キューバ第2の都市サンタ・クララに向けて進軍する。そこで、最後の決戦に望み激戦の末、サンタ・クララを陥落させた。そして、革命の総仕上げとしてハバナへの行軍を開始するところで、第一部が終了する。しかし、時折り、モノクロ映像で1964年ゲバラがキューバ代表としてニューヨークの国連本部での演説の場面が出てくる。これは、キューバ革命の後62年のキューバ危機を経た後のことだ。ニューヨークではキューバに持ち込まれたソ連の核ミサイルへの過剰な反応の後遺症もあって、国連に現れたゲバラへの米国民の敵意をむき出しにした反応が多かった。国連のなかでも、南米の親米政権はゲバラに敵対してきた。しかし、彼は米帝国主義への批判を展開しあわせて南米の反キューバの主張にことごとく反論を展開した。
 キューバに乗り込んだゲバラは、持病の喘息に苦しめられつつも、新たに加わった兵士たちの訓練を任され、闘う部隊を作り上げていった。彼は、愛をもって兵士や民衆に接しつつ、規律は厳しくするといったなかにその基本が貫かれていたいた。これは、虐げられた民衆の支持をえた革命という「大義」があればこその結果とも言えよう。ちなみに、「チェ」といのは、「ねぇ君」というような呼びかける時に使う言葉で、ゲバラがよく使ったことで、愛称となったようだ。ただ、国連での演説の内容やインタビューも含め、社会主義的知識が前提としてなければ、内容が分かりずらいのではないかと思った。それと、当初キューバに上陸する部隊のなかで、唯一キューバ人ではなくアルゼンチン人というなかで、警戒される場面もあったが、日本でのことを考えると、なかなか難しいのではないかと思った。余談になるが、64年に国連でゲバラが演説した際言及していたグァンタナモ米軍収容所をキューバに返還するよう求めていたが未だに解決していない。


監督:スティーヴン・ソダーバーグ
出演:ベニチオ・デル・トロ、デミアン・ビチル、サンティアゴ・カブレラ
2008年   上映時間: 132分
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テーマ : チェ・ゲバラ
ジャンル : 映画

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