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戒厳令
 1921(大10)年の夏、北一輝を一人の女性が訪ねてきた。彼女は、朝日平吾の姉で小さな風呂敷包みを持ってきた。それは、平吾が安田財閥の当主である善次郎刺殺し、自らも自殺したとき着ていた着物と遺書であった。彼は、遺書で北一輝に遺書と遺品を届けて欲しいと書いていた。遺書は明らかに北の「日本改造法案」に影響を受けていた。北は、その着物を受け取り、血の臭いをかいだ。そして、それを、安田銀行へ持参し、遺族に見せた。そして、帰り際に金の包みを受け取るのだった。その後、北の「日本改造法案」に影響を受けた軍部の連中とは、西田税を通じて自らの影響力を行使するのみの北。彼は、戒厳令へのあこがれと、自らの思想が一人歩きし、多くの人々に影響を与えていることに躊躇する。そんな折り、一人の兵士と知り合う。彼も、北を信奉するひとりだった。彼は、陸軍のなかで北の影響下の連中と血判を押し、決起を誓っていた。そんななか、たまたま北と出会って、「決行は5月15日で、今この家で計画が話し合われている」と教えてくれた。兵士は、家にいた一人の士官から、手榴弾を渡され、変電所を爆破するよう言われた。しかし、この決起には北は反対で西田を介して陸軍の部隊を参加させないことにしていた。兵士は、変電所にには行ったものの、結局実行できなかった。そのことを詫びに北の家を訪ねた兵士だったが、北の元には、西田が裏切り者ということで拳銃で撃たれたという知らせが入った。北は兵士を伴い病院へ急行。病室には、憲兵隊の士官も待機していた。西田は奇跡的に命は助かった。しかし、兵士は憲兵隊に出頭する。しかし、政治腐敗、不景気とあふれる失業者という社会は続き、ついに2.26青年将校に率いられた一団が決起。主要拠点を武力制圧し、首都に戒厳令がひかれたのだ。
 北の生い立ちの影響からか、弱い側面に向き合うと自らに「罰」を与えるという自傷行為をおこなう場面が不気味だ。それと、精神統一を「法華経」の読経で、夫婦でおこなっている。あの時代、けっこうこの「法華経」がキーワードといえよう。日蓮宗の僧侶でもある井上日召率いる血盟団、田中智学の国柱会も日蓮宗と国家主義を混ぜ合わせつつ、法華経を中心においていた。宮沢賢治も一時この国柱会にいたし、石原完爾も信者だった。このあとにも創価教育学会や大日本立正交成会といった戦後に続く宗教団体も設立されている。この辺り、他宗派を基本的には認めない日蓮宗・法華経に帰依している宗派・団体の動きはなぜか怖さを感じてしまう。いっぽう、天皇との関係でも、2.26に関わって銃殺刑が科せられる際、実行部隊の磯部浅一と北だけが「天皇陛下万歳」を唱えなかったという。ここらについては、血盟団の井上、小沼と2.26の磯部について、かつて東映の「日本暗殺秘録」という映画で観た記憶がある。そんなことなどを思い出させた映画だ。

監督:吉田喜重
出演:三国連太郎、松村康世 、三宅康夫 、菅野忠彦
1973年日本映画  上映時間110分
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テーマ : DVDで見た映画
ジャンル : 映画

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