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実録 連合赤軍事件 あさま山荘への道程
 1960年安保闘争を前に日本共産党と袂をわかった共産主義者同盟が結成された。その学生組織である社会主義学生同盟(社学同=ブント)を中心に学生たちが立ち上がった。そして、学生を中心としたデモ隊が国会を包囲し、国会へ突入しようとした際、東大の学生樺美智子さんが警官によって殺された。この後、日韓闘争を経て、ベトナム戦争の拡大と、70年安保にむけブント、中核派、解放派による、3派全学連が、67年佐藤首相のベトナム訪問を阻止すべく、羽田空港周辺でヘルメットと角材を持った学生たちによって、機動隊との攻防戦を闘い、その中で京大生が犠牲となった。このあと、「佐藤訪米阻止・第二次羽田闘争」「佐世保エンタープライズ寄港阻止闘争」「三里塚闘争」などが闘われた。そして69年には日大闘争を皮切りに全国で学園闘争が闘われ、東大闘争が闘われた。そうして、70年安保闘争へ運動が高揚していた。ブント内部では、議長のさらぎの方針に対して関西派と言われていた塩見が武装闘争を主張し対立を深めていた。そして、共産同のさらぎたちへの襲撃が強行され、その報復もおこなわれた後、赤軍派が結成された。その後、赤軍派は大菩薩峠での軍事訓練中、機動隊に急襲され参加者全員が逮捕された。これを契機に、塩見ら幹部も含め、全国で一斉に赤軍シンパも含めて、次々に検挙されていった。こうしたなかで70年を迎え、3月にはよど号ハイジャック事件が引き起こされ、田宮ら赤軍メンバーは北朝鮮に渡った。そして、赤軍派は残ったメンバーのなかでは、年長の森恒夫が最高幹部となった。いっぽう、京浜安保共闘の方も川島豪議長が逮捕され、残ったメンバーのなかで永田洋子が最高幹部となった。彼らは武装闘争を推進しようとして、交番を襲撃し武器を奪取しようとした。しかし、逆に殺されたメンバーも出た。そこで、栃木県真岡市の銃砲店を襲いライフルや散弾銃、実弾を強奪した。これに対して、赤軍派はM作戦と称して郵便局などを襲い現金を奪った。こうして、武装闘争の一点で赤軍派と京浜安保共闘は手を結び当初「統一赤軍」と称したが川島の提案で「連合赤軍」となったという。そうして、彼らは丹沢や次いで榛名で山岳アジトへと合流する。もともと、ふたつの党派であってそれが合流するということもあって、すんなりとはいかないのは自明のこと。まして、京浜安保共闘側はここにくるまえに、二人の男女を逃亡の恐れがあるということで、すでに殺害していたのだ。こうした経過もあり、共同生活のなかで武装蜂起の準備と言っても銃を担ぎ、狙いながら口「バーン」などというという状況であった。そして、学習ということで本を読んでいても、他人の動静が気になるものである。しかも、女性の同士たちも数多く参加してしていたという状況であった。それと、幹部ということで何よりも森、永田というコンビの資質のレベルが最悪であった。とにかく、何がどういけないのかについついてきちんと説明がつかないのに「総括」を要求する。しかもひとたび「総括」となれば何を言っても聞き入れることなく、ひたすら死にいたるまでの暴行が続くことになる。そうした自明のこととなり、ひとたび反論すれば今度は「処刑」ということでナイフやアイスピックで殺されるという有様だ。しかも、理屈として「共産主義化」とか革命戦士といった言葉が踊っても、無縁のものと思ってしまった。そして、生き残った連中も次々に逮捕され、5人だけが、軽井沢にあった「あさま山荘」に入り込み、たまたま居合わせた管理人の妻とともに10日間にわたる籠城戦を展開した。彼らは持っていた銃やピストル、鉄パイプ爆弾で立ち向かい、機動隊2名が撃たれて死亡した。最後は、鉄球で山荘の建物を破壊し、放水と催涙弾を放ち続け武器使用も辞さない態勢で5人全員を逮捕し、管理人の妻を救出した。その後、逮捕されていた森は拘置所内で自殺した。さらに、服役中の赤軍派の板東は日本赤軍が1975年クアラルンプールでのアメリカ大使館占拠事件で超法規的手段で釈放され、国外に脱出して現在に至っている。
 とにかく、あの時代あさま山荘の事件には皆一様にテレビにくぎ付けだった。しかも、銃撃戦を展開しており、なかなかやるじゃないという思いがあった。しかし、後に「リンチ殺害事件」の全容が明らかになるに従い、言葉を失ってしまった。このあと、学生運動をはじめ新左翼運動も衰退の一途をたどる契機となってしまったのは否めない。
 映画では、加藤3兄弟の16歳の末弟が長兄を「総括死」で亡くし、あさま山荘に立て籠もり、その際にまで総括を強要していた坂口たちに「勇気がなかった」と言い、仲間殺しの反省を口にする場面が印象に残った。若い人たちが演じたこともあってか、インターナショナルを歌う場面では、音程がちがっていたのは違和感があった。ともあれ、あの時代についてきちんともう一度向き合うことは、我々の世代は必要ではないかと思った。

監督:若松孝二
出演:坂井真紀、ARATA 、並木愛枝
2008年日本映画  上映時間190分
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